内省録

人間的に成長し、大好きな人に認めてもらえるまでの内省を記録します。

無知

昨日書いた悪人正機の話と似ているなぁとふと思った「無知の知」についての話です。

 

無知の知」とは

無知であるということを認識している(知っている)時点で、無知ではないと認識している人よりは優れているという、ソクラテスの考え方です。

また同時に真の知(不変の真理)への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるという考え方です。

 

以下、参考となる引用。

ソクラテスの弟子の一人にカイレフォンという男がいたのですが、この男は、デルフォイ神殿の巫女さんから「ソクラテスが最高の知者である」という神託を受け、それをソクラテスに伝えました。すると、ソクラテスは、自分のことを知者だとは思っていなかったので、これはおかしいと思った。しかし、その一方で、神の言うことに間違いがあるはずがない、とも思った。そこで、世の中で知者で誉れ高い人たちのところを訪ねて、その人が知者であることを示し、神託への反証にしようと思った。ほら、ここに私より賢い人がいる。だから、デルフォイ神託は間違いだ、とね。

しかし、知者たちの考えをよくよく調べてみると、みんな何もわかっていないことがわかってしまった。そこで、ソクラテスは、これはどうしたことか、と考えた。そして、こう思った。

『この人たちは自分のことを知者だと思っているが、私はそう思っていない。この人たちも私も知者ではないという点では同じだが、この人たちは自分のことを「実際には知者ではないのに、知者であると思っている」のに対して、私は自分のことを「実際に知者ではないその通りに、知者ではないと思っている」。この点で、彼等と私には違いがある。自分が知者ではないというそのあり方を、そのあり方の通りに「自覚」しているという点で、この点で、私の方が世の知者たちより賢い。』

自分が知らないということを知っているということ、自分は何もわかっていないということを自覚しているということ、この意味で、これは「無知の知」と言われているわけです。
(引用元は↓の通り)

matsuura05.exblog.jp

 

上記の説明を踏まえて、

悪人=自分の悪・煩悩を認識している人

ソクラテス=自分が無知であることを知っている人

であり、両者とも煩悩・無知という自らの不完全な現状を認識した上で自らの行動につなげていることが、直感的に繋がって考えられました。

そして、悪人と無知の人が至る帰結も近いものがあると思います。

悪人こそが、己の煩悩を前に仏を信じるようになり、救われる。

無知を知る人こそが、無知を出発点とする思考のもとで、真理に至る道を得る。

どうやら、このように自分の不完全な現状を認識することは古来から、人間の精神にとって尊ばれることだったようです。

 

自分ごとにしてみる

ここまでで理解したつもりになってはいけないので、

ここから何を学ぶのか。どう生き方に反映させるのか。

が重要です。

 

昨日と同じ繰り返しにはなるけれど、自分は無知ではないと傲慢にも認識していたことを痛感します。自分の考えることが正しい、という姿勢が相手を不快にさせ、協調性をないがしろにしていた可能性があります。

では、これからいかにして自分の「無知」を認識できるようになり、他人に寛容になれる人間を目指すか。

 

ポイントは

無知な部分と既知の部分の境界を把握すること

にあると考えます。

 

「無知」と「既知」の境界を把握(いわゆるメタ認知)を繰り返すことを日々心がけようと思います。これによって

・不完全な自分を受け入れる寛容な精神

・自分の思考や行動そのものを対象として認識する客観性

これら2つを自分の思考に癖付けてしまいたいと思います。

自分は「批評家」になりがちです。批評家になっていては不完全を受け入れずに批評する立場になってしまうし、他者を批評し続けるあまり自分自信を振り返ることがおろそかになっています。

今後は、「無知」である自分を客観的に理解し、不完全を許容する思考を癖付けて、批評家を脱していきたいです。

寛容で、相手を否定しない人間に成長したいと思います。

 

 

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今日やったこと記録。

今日は自分の所属する団体の採用面談と、採用面談のフローを資料化(wiki化)と、1月のイベント資料作りを行いました。

朝は昨日と同じく心がしんどくて起きれず、昼の採用面談からさっきまで思考し続けていました。

明日は朝ちゃんと起きてやれることから頑張ります。